雑記

(Twitterに書くには長すぎる感想)

たちばな書店について、感じたこと


2月17日、築地本マルシェ内にて開催された
たちばな書店~価値観を共有する場所~】
を拝聴してきた。


そこで感じた率直な気持ちや愚痴なんかをだらだらと書き連ねたく、数ヶ月ぶりにはてブロ開いた。

レポとかでは全然ないし、自分の中でショックが大きすぎて素敵だなって思ったことをほぼ忘れてしまっている。
これから書くわけだが、おそらく批判的な内容しかないと思うほどには。

 

<<わたし>>
事務員。オタク。ちょっと前までライターもしていた。(副業禁止のお仕事になってやめた。)
文芸社以外の出版社から自分の本を出すのが夢。
一時期仕事しながら一日五千字生活していたので、読書量はめちゃくちゃ減った。

 

<<たちばな書店とは>>
EXILE橘ケンチ氏によるWEBサイト。
橘さんが紹介したい本、橘さんの知人の方が紹介したい本、一般の方が紹介したい本、
この三つの要素によってのみ構成されている、とてもシンプルなサイト。
書店員という名のスタッフが数名いる。
池袋・三省堂書店および東京・八重洲ブックセンターにて実店舗化イベントも開催。
実際に紹介したorされた本をアーティスティックに展示。

 

【わたしが思っていたこと】
読書家、本が好き、というのを売り出していたので、本の評論…とまでは行かずとも、いろんな本を読むことで見聞を広める過程を『たちばな書店』を通じて発信し、自身のキャラクターを確立し、新規ファン・新規顧客を獲得していく戦略なのかもしれないな。
いろいろなジャンルを読むためにも紹介を募集するついでに、ファンの皆さんとも共有したいな、という感じの企画なのだろうか。

 

【実際目指しているもの】
「いろんな人の本を紹介する一つの仮想空間」みたいな感じ。タイトルにある「価値観を共有する場所」ということ。
紹介されたものに目を通して、面白そうなものをピックして、「これよさそうだよ」って店頭に並べるだけ。

 

【実際の方向性に対するわたしの見解】
それなら「図書館」とか「本棚」でよくない?何で「書店」って名前にしたんだろう。語呂?
書店って、たまに道楽でやっているお店もあるけどあくまでビジネスだと思うので、売れると思える面白い本を置いて欲しい。
でもたちばな書店って、読んでもいない本を「面白そうだよ」って紹介するだけなんですよ。
橘ケンチさんは、読まずにおすすめ文・あらすじ・口コミなどを参考にコメントしているそうです。何だ、何だそれは…
あと、タイトルだけが羅列される形式なので、サイトめちゃくちゃ見づらい。せめてクリック前に表紙画像つけてほしい。
ジャンルもごちゃごちゃで、まあそれに拘らずいろいろな本を紹介したいというコンセプトがあるのはわかるけど、ジャンルでソートできたり、泣きたいとき/笑いたいとき/勇気が欲しいときなどのシチュエーション別でもソーティングできた方が面白くなると思う。本ソムリエみたいな方向性で。

 

【少し冷静になったわたしの考え】
おそらく、わたしが期待しすぎていただけで最初からその程度のライトな企画だったのだと思う。
そういう企画を立ち上げたよ!という実績が欲しかったんだろうな、と社会に揉まれたオタクは悟っている。
それでもやっぱり期待はずれだった感は否めない。まあ、こちらが勝手に期待していただけなんですけど。
2月入ってから高頻度で更新されているたちばな書店、頻度は下げて良いから実際読んで本当に素敵だなと思ったものを共有させて欲しい。少なくともファンはそう願っているんじゃないでしょうか。いや、自分の投稿がピックされれば満足で、ひたすら数打っているファンもいるんだろうな。

 


【橘さんの本の読み方について感じたこと】
平行して数冊読んでるのは知っていたんですが、20冊?え?20…20?
一日数ページだけ読んでまた次の日、みたいな感じなのかな~とは思う。
むしろそんな平行して読んでるのに何でたちばな書店で紹介している本、読まないんだってばよ…?
あとびっくりしたのが、その数なのに蔵書は500冊くらいってどういうことだってばよ。
図書館?図書館ユーザーなの?絶対違うだろうけど。返却期限までに読む、とかそういうの苦手そう。
まあそれはいい。本で気に入ったフレーズなんかに線を引いて、自分の中に残す読み方も好みだからいい。

ただ、もともと一つの話に集中するのが苦手、みたいなことを仰った上での発言ではありますが。
しがない文筆家の端くれがいじけているだけだと思ってくださって構わないんですけど。

正直、読みかけで放置されている本がたくさんあるって、聞いているだけでつらい。
「僕はそれでいいと思っている」って、作者に対する最高の侮辱。
本に書き込まれるよりもよっぽどつらい。悲しい。

というか、その前段階の「一冊の本に集中するのが苦手」みたいなのも結構しんどい。
わたしはまだまだ人間ができていないので、そんな話聞きたくない。
それってつまり、「その文章には自分を引き込むほどの魅力がなかった」ということでしょう。

今まで頂戴したご感想の中で、「情景が目に浮かぶようでした。」とか「言葉の選び方が素敵です。」とかももちろん嬉しかったのですが、(というか、感想自体嬉しいものだし、初めてファンレターを頂いたときは泣いた)
「寝る前だったのに、中断するタイミングを逃して一気に読んでしまいました。」だとか「早く続きが読みたいのに、終わって欲しくないという矛盾を抱えページを捲っていました。」といった言葉は心にぐっときました。
わたしにも身に覚えがあります。素晴らしい作品を読んだ後、どうしても感動や情熱を伝えたくて、もしくは興奮をとにかく吐き出したくて、読んでもらえるかもわからないファンレターを送ったものです。

情景の伝え方や言葉の選び方は、たくさん書いて、たくさん読んで、鍛えることができる部分だと思います。
ただ、読者を引き込む力っていうのは多分、それらに加えて構成力だとか、文章内の空白感の使い方だとか、もう一段階上のものなのではないかと考えている節があるのです。
人に読んでもらえる文章を書けるようになることは初歩の初歩、その次の段階で読んで下さっている方の心を掴めるようになるのではないか、と。まああくまで持論です。

 

 

 

とにかく、橘さんの話を聞いて「うわまじか、この人とは本の話できないわ。」と感じました。
あと、いつかわたしが夢を叶えて本を出したとして、絶対手にとって欲しくないと思ってしまいました。
だからといって嫌いになるわけではないのですが。そもそもあの顔と身体を好きになったので、それ以外はオマケだし。
そして、「全部好きだと思える存在がいるのは奇跡的な確率なのでは…?!」と感じました。ありがとう久保田悠来

 

途中からつい、お仕事の感想になったので敬語混じりの変な文章になりました。
とにかくわたしはつらかった。入ってきた瞬間は「あ、圧倒的顔の良さ~~~!」と思っていたはずなのに。
そういうところ、そういうところだよLDH。
LDHの中でも賢い方に入ると思うんですけど、天然だからなあ。
わたしもそういう節があるので何とも言えないけど、「こういうことを発言したら傷つく人がいる」っていうところにまで至らなかったのかな。
別にあの講演会からは「読み方に囚われない俺カッケー!」というLDHイズムみたいなのは感じなかったんだけど、確かにわたしは傷ついたしショックを受けた。

 

ちょっと愚痴る程度のつもりだったのにこんなに長々書いたのは、正直自分でも予想外だった。
思っていたよりもショックを受けていて悲しかったのだな、と冷静に思えるくらいには落ち着いたので投稿します。
繰り返しますが別に嫌いになるわけでもないし、これからもイベントがあったら参加してかっこいいなかわいいなと感じると思う。
ただ、土曜はそう思えなかったのがショックでしたという、感情のぶつける先を見失ったオタクによるチラ裏なので悪しからず。